作品名
ヴィーガンズハム

監督
脚本
主な声優
1分で分かるあらすじ
田舎町の静けさを切り裂くのは、包丁の音か、それとも罪悪感のうめき声か。肉屋を営むヴィンセントとソフィー夫妻は、30年もの間、肉と愛情を切り分けながら生きてきました。しかし今や、愛は冷め、ハムも売れず、夫婦の会話は冷蔵庫の中よりも冷たいのです。そんなある日、突如として現れたのは怒れるヴィーガン活動家たち。突撃、抗議、混乱、そして…うっかり殺人。はい、やっちゃいました。絶望、動揺、でもとりあえず解体。さあ困った!いや、ひらめいた!“肉”が売れないなら、“人肉”を売ってみたら?——いやいや、冗談じゃない、本気です。ソフィーの手違いで店に並んでしまった「特別なハム」。それがまさかの大ヒット!まさに、売れ筋は罪の味、爆売れは悪の始まり。

こうなったら、後には引けません。次のターゲットは誰にしましょう?議員?保険屋?ヨガのインストラクター?人間の数だけチャンスあり!精肉店は今、狩場と化し、夫婦の人生は「新鮮なスタート」を切ったのです。笑うしかないこの地獄、泣くのはあなたか、食べられる彼らか。倫理?常識?そんなの、スライサーで薄く切ってポイです。愛と罪とハムが織りなす、フランス発の超・異色ブラックコメディ。観ればあなたも、もうスーパーの精肉コーナーで目をそらせなくなるかもしれませんよ?え、そこのあなた…お肉、ほんとうにそれ、牛ですか?
主要人物一覧
ヴァンサン・パスカル
肉屋の主人であり、誠実だが少々頑固な性格の持ち主です。肉への情熱は深く、品質にこだわるあまり経営が傾いても信念を曲げません。しかし、ある事件をきっかけに倫理観が揺らぎ、次第に常識の枠を超えた行動に走ります。その変化は、彼の内面に潜む欲望と葛藤を浮き彫りにします。彼の選択が、物語を予想外の方向へと導いていきます。
ソフィー・パスカル
ヴァンサンの妻であり、現実的で行動力のある女性です。夫の頑固さに苛立ちを感じつつも、家庭と店を支え続けます。ある出来事を機に、彼女の中に眠っていた大胆さが目覚め、夫婦の関係性にも変化が生まれます。彼女の決断力と柔軟性が、物語の鍵を握る存在となります。
マルク・ブラシャール
地元の警察官であり、真面目で正義感の強い人物です。町で起こる奇妙な事件に疑念を抱き、真相を追い求めます。しかし、捜査が進むにつれて、自身の信念と現実とのギャップに直面し、葛藤を抱えることになります。彼の視点が、物語に緊張感と深みを加えます。
ステファニー・ブラシャール
マルクの妻であり、ソフィーの友人です。明るく社交的な性格で、町の噂話に敏感です。夫の捜査に協力する一方で、友人としてソフィーの変化にも気づき始めます。彼女の存在が、物語に人間関係の複雑さと温かみをもたらします。
クロエ・パスカル
ヴァンサンとソフィーの娘で、都会での生活を送っています。両親の店を訪れることで、家族の変化に直面し、戸惑いを感じます。彼女の視点が、物語に新たな視野と感情の深みを加えます。家族の絆と個人の成長が交差する中で、彼女の選択が物語に影響を与えます。
シリーズ・関連作品
- 特になし
ヴィーガンズハム ウィニーとは?
ヴィーガンズハムを過去に流し見やざっくりおおまかに視聴した人で物語を把握できていないと、“ウィニーって誰?”という現象が起こります。“ウィニー”は物語で鍵となるキーワードなのでここで深掘りしてみましょう!
“ウィニー”それはただの青年の名前でありながら、映画『ヴィーガンズ・ハム』において最大級のキーワードであり、物語の転落と覚醒を同時に呼び起こす存在です。彼が何者だったのか?なぜその名が法廷で呼ばれたのか?そして、なぜ観客の心にこんなにも強烈なインパクトを残すのか?笑ってしまうほどバカバカしく、しかし涙が出るほどに人間臭い。このセクションでは、そんな“ウィニー”という名の悲喜劇を、余すことなく、味わい深く、じっくりと煮込んだスープのように語り尽くします。
それは“イラン豚”の名。だけど、人間。だけど商品。
ウィニー。それは劇中、主人公夫妻が経営する精肉店に並ぶ“新商品”、そう、“イラン豚”の個体名でした。けれども、この豚、いや、正確には青年は、実際には人間です。色白でぽっちゃりとしたティーンエイジャーの青年で、心臓に持病を持っていたウィニーが、まさにこの物語最大のターニングポイントになります。物語は小さなフランスの肉屋が舞台。経営破綻寸前、夫婦仲もギシギシという状況で、突如手に入れた“謎の肉”これがなんとも美味、いや、美味すぎる。

客は行列、売上爆上がり、まるで商売繁盛の神が舞い降りたよう。だがその神の正体は、倫理観の地獄から来た“グルメな悪魔”だったのです。ウィニーの肉は抜群の評判を呼び、夫妻はこの「味の奇跡」を量産しようと決意。ヴァンサンは驚異のハンティングセンスで次々と“素材”を集め、ソフィーはその肉を“イラン豚”として販売していきます。そして、彼らの破滅の始まりは、そう──“ペースメーカー”でした。肉の中から出てきたそれが、「この肉、人間じゃん!」という衝撃の事実を世間に知らしめることになったのです。そう、ウィニーは心臓の持病によりペースメーカーを埋め込まれていたのです。この鉄のかけらが、夫妻の秘密を暴く鍵となり、物語は一気に地獄へと転落していきます。
ラストの法廷の冷気の中で響く、「…ウィニー」
さて、映画のクライマックス。冷たいコンクリートと冷たいまなざしが交錯する裁判所の法廷にて、あの問いがソフィーに投げかけられます。「取り戻したいものはありますか?」──被告として問われた彼女が一拍おいて放ったのは、たった一言。「…ウィニー。」
まるでロマンチックな呼びかけのように、まるで愛する娘の名のように、まるで人生をやり直したいかのように。だが真実は真逆。観客の想像を裏切る形で、この“ウィニー”とは、例の「証拠付き人肉」の提供者であり、つまりは逮捕のきっかけそのものだったのです。そう、この台詞は「愛していた人を取り戻したい」ではなく「もっと上手く捌けていたら」という、まさかの反省ゼロの宣言だったのです。いや、むしろ堂々の開き直り。それどころか、まだ続ける気満々だったのですから、観客としては呆れを通り越して喝采したくなるほどです。「この人、反省してない…!」「でも、清々しい!」そんな声がSNSに溢れかえったのも納得。ソフィーの狂気と情熱、そして“ビジネス感覚”は常人の想像を軽く超えてきます。それは愛か、執着か、それとも肉欲だったのか・・・
なぜ彼女は“ハム”に異常な執着を見せるのか?
物語後半、事件が思わぬ方向へと進み、人肉ハムの存在が発覚する直前。ウィニーは1人、精肉店の裏手に佇み「この匂い、何かが違う…」とつぶやきます。ヴィーガンであるはずの彼女が、なぜ“ハム”にこれほどまで過敏に反応するのか・・・その答えは、彼女が抱える「罪悪感」と「本能の葛藤」にあります。幼少期、肉を食べたことを自分で“罪”と感じて以来、ウィニーは肉から距離を置いてきました。しかし、彼女が一度だけ「美味しい」と思った味。それが亡き母が作ってくれた“ハムのサンドイッチ”だったのです。皮肉なことに、彼女のノスタルジーは肉の味と直結しており、それが精肉店から漏れる“何か”に強く反応する理由にもなっていたのです。
さらに、クライマックス直前のシーンでは、彼女自身が知らぬ間に食べた“禁断のハム”の正体に気づき、自分のアイデンティティが崩れていく様子が丁寧に描かれます。顔を真っ青にしながらも「…でも、美味しかった」とつぶやく姿は、人間の本質が理屈や理念では覆せないという、作品全体のテーマを象徴する場面と言えるでしょう。ウィニーのこの一言により、観客自身も“善悪”とは何か、“食”とは何かという問いを突き付けられ、映画のトーンは一気に哲学的な深みを増します。
ウィニーという存在が語る、ヴィーガンと倫理とブラックジョークの三重奏
『ヴィーガンズ・ハム』がただのグロ映画でもなければ、ただの風刺劇でもないと証明する存在、それがウィニーです。彼がいたから、笑えるのに笑えない。怖いのに泣ける。エグいのに美味しそう。そんな複雑な感情が交差する作品に仕上がったのです。そして、ウィニーという名が象徴するのは、“人は何を食べるのか”ではなく、“人は何を許すのか”という命題。倫理と経済、愛と欲望、命とビジネス。その狭間でユーモアを武器に突き進んだこの作品は、最後まで観る者に「おいおい、本当に笑っていいのか?」という問いを突きつけてきます。
見どころのシーン
ヴィーガン活動家との衝突
店がヴィーガン活動家たちに襲撃されるシーンは、物語の転機となります。彼らの過激な行動が、ヴァンサンとソフィーの生活を一変させ、予期せぬ展開へと導きます。このシーンは、倫理観と現実のギャップを浮き彫りにし、観客に強烈な印象を与えます。
ハムの誤販売
ソフィーが誤って特別なハムを店頭に並べてしまうシーンは、ブラックユーモアが際立ちます。予想外の人気商品となり、夫婦の関係性や店の経営に新たな光が差し込みます。この出来事が、物語の方向性を大きく変えるきっかけとなります。
夫婦の協力
ヴァンサンとソフィーが共に行動を起こすシーンは、彼らの関係性の変化を象徴しています。困難な状況の中で協力し合う姿が、物語に深みと感動をもたらします。彼らの絆が試される中で、観客は人間関係の複雑さと美しさを感じ取ることができます。
警察の捜査
マルクが事件の真相を追い求めるシーンは、物語に緊張感を加えます。彼の鋭い洞察力と正義感が、物語の進行に大きな影響を与えます。捜査が進むにつれて明らかになる事実が、観客の興味を引きつけます。
家族の再会
クロエが両親の元を訪れるシーンは、家族の絆と再生を描いています。彼女の存在が、ヴァンサンとソフィーに新たな視点をもたらし、物語に感動的な要素を加えます。家族の再会が、物語のクライマックスへとつながります。
有名なセリフ
「人間だって、動物の一部なんじゃないのか?」
ヴァンサン・パスカル
このセリフは、ヴィーガン活動家たちに問い詰められた際にヴァンサンが投げかけた皮肉交じりの名言です。彼は肉を提供することを仕事としているがゆえに、命の価値や倫理の境界について常に揺らいでいます。この場面では、活動家たちの正義感と彼の信念がぶつかり、理屈だけでは片付けられない「生きるために食べる」という根源的な問いが浮き彫りになります。彼の言葉は開き直りであり、また真実の一部でもあります。
「愛は腐らない。でも、無視すると悪臭を放つのよ。」
ソフィー・パスカル
夫婦間の冷めた関係がピークに達した夜、ソフィーがヴァンサンに向かって静かに告げたセリフです。長年連れ添った中で言えなかった不満、そしてまだ残っている愛情が滲み出た言葉でもあります。腐りかけたハムに例えて愛情を語る彼女の言葉は、ユーモアと悲しみが同居する名シーンとなっており、観客の心に深く残ります。
「秘密は冷蔵庫に入れとけ。心にはしまうな。」
ソフィー・パスカル
ソフィーがヴァンサンに人肉を使ったハムの件を問い詰める中で放つ、なんとも皮肉たっぷりのセリフです。ここでは、罪悪感を抱えている夫への警告とも、共犯者になる覚悟の現れとも取れるこの言葉が、彼女の複雑な感情を如実に表しています。「冷蔵庫」と「心」という対句的な構造を用いながら、ユーモアの中に倫理観のねじれを含ませたこの名言は、作品のブラックコメディ的なエッセンスを象徴しています。
「味の奥にあるのは、人生の重みよ。」
クロエ・パスカル
家族のもとに戻ったクロエが、店でハムを口にしながら漏らすように語った一言です。都会で洗練された暮らしをしてきた彼女が、田舎の味と家族の歴史に触れる中で感じた感情を、詩的に表現しています。この言葉には、食という行為がただの栄養補給ではなく、背景にある人の想い・苦労・記憶をすべて含んでいるという深い意味が込められています。ロマンと郷愁が溶け合った、静かな名場面です。
「食べられる側になって、やっと“いただきます”の意味がわかったよ。」
被害者のモノローグ風シーン
ラストに近づく衝撃的なシーンで、観客の頭の中に直接響いてくるようなナレーションとして登場します。このセリフは、命を奪われる立場に置かれた人物の想像内のつぶやきのように演出されており、観る者に深い倫理的ジレンマを突きつけます。「いただきます」という日常的な言葉の裏にある命の重みを、まったく違う角度から改めて考えさせられるシーンであり、この映画の核心に迫る名言と言えるでしょう。
作品功績
興行収入

興行収入:3,200万ユーロ(約47億円)
受賞歴

受賞歴:
- 第49回シッチェス・カタロニア国際映画祭「最狂脚本賞」
- フランスフィルムユマニテ映画賞「ブラックユーモア特別賞」
解説【起・承】
田舎の片隅にひっそりと存在する、古びた肉屋。その店の名前を知っている者は少なく、そして知った者の記憶には、妙に濃い脂の香りがこびりつく。それが〈パスカル精肉店〉。この物語の始まりは、まるでおばあちゃんのぬか漬けのようにじわじわと、しかし確実に異臭……いや、異常が立ち込めてくるところからスタートします。ヴァンサン・パスカル。頑固で情熱的な肉職人。彼の人生は“赤身と脂身の絶妙なバランス”でできており、妥協という言葉は冷蔵庫の奥の奥に封印されています。妻のソフィーはというと、現実を見据えた辣腕の裏方。帳簿と心のバランスシートを一人で管理する、裏の女将です。ある日、空から降ってきたのは天使ではなくヴィーガン活動家たちの怒号。

スタッフによる作成画像
菜食主義の波はパスカル家の食卓を襲い、肉と野菜の戦争は静かに勃発しました。「キャロットvsカツレツ」「ソイミートvsレバーペースト」!この戦いに終わりはあるのか?という問いに、観客はニヤニヤしながらも本気で向き合うことになります。ヴィーガンたちのデモ、肉屋の抵抗、警察の静観、そして町の人々の右往左往。まるで大根のように硬く、スジのようにしつこい倫理観の攻防が、静かに、しかし確実に物語を茹で上げていきます。クロエ、都会でデザインの勉強中の一人娘が帰省したその日、パスカル家に決定的な異変が訪れます。「ねえ、これ何の肉?」その一言が、冷蔵庫の奥に眠っていた“本当のハム”を解き放つ導火線となるのでした。
解説【転・結】
さあ、転がり出したボーリングの球は、まっすぐピンに向かわず、スピンを効かせて隣のレーンに突っ込むのがこの物語の真骨頂です。ヴィーガン活動家による連日の嫌がらせに疲弊しながらも、反撃の狼煙をあげたヴァンサンとソフィー。その矢先、誤って「人間由来のハム」が店頭に並び、まさかの爆売れ。皮肉は常に現実のすぐそばに潜んでいる。そう観客に囁きかけるような展開が待っていました。味の奥に感じたのは肉の旨味か、それとも人間の業か。奇妙な“美味”にハマった客たちは中毒者のように「もっとくれ」と列をなし、パスカル夫妻は次第にモラルという名のまな板をぶった切っていきます。「これは犯罪か?それとも商機か?」法律と本能の間で揺れ動くその姿に、観客はハムよりも脂っこいジレンマを感じ取るでしょう。一方、地元警察のマルクは違和感を嗅ぎ取り、事件の影を追い始めます。

スタッフによる作成画像
ソフィーの親友でありマルクの妻であるステファニーが微妙な女の勘を発揮するあたりで、物語はスライスしたベーコンのように層が見え始め、裏に隠された真実がジリジリと炙り出されていくのです。そして物語は、思わぬ形で終焉を迎えます。ある晩、冷蔵庫から漏れた奇妙な音、娘クロエが見た「何か」、そして警察の急襲。その全てが交差する瞬間、観客の呼吸は止まり、笑いと戦慄が同時に喉を駆け巡ります。「愛と食は、罪と背中合わせ」。そう語りかけるようなエンディングに、拍手と冷や汗が混ざり合うことでしょう。
まとめ
肉か、命か。それが問題なのか。それとも、そもそも“食べる”という行為自体がすでに哲学なのか・・・映画『ヴィーガンズ・ハム』は、そんな問いを塩胡椒まみれでテーブルに叩きつけてくる、とんでもないブラックコメディです。善悪の定義がまるで塩加減のように曖昧で、ひと振りで「美味」となり、振りすぎれば「しょっぱい道徳」へと変わります。物語は肉屋という小さな空間で起きたはずの出来事を、社会の価値観や倫理観の縮図として描きながら、観客の想像を容赦なく串刺しにしていきます。まるでスモークされた真実のように、すべての展開がじんわりと、しかし確実に心に染み込んでくるのです。
何が正しくて、何が間違っているのか?その答えは冷蔵庫の奥、あるいは心の棚の中に隠されているかもしれません。バカバカしいほど真面目で、真面目すぎて笑える。これはただのコメディではなく、“食”と“生”をテーマにした、予想外の哲学ドラマなのです。そして最後に、あなたの口から漏れる言葉はきっとこうです。「…このハム、何の肉?」
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余談・小ネタ
この映画『ヴィーガンズ・ハム』、実はタイトルの仮案が『ソイよりソウル』だったという噂があります。試写段階で関係者の大半が「全然売れなさそう」と渋い顔をしたため、今の“肉っ気満点”のタイトルに落ち着いたそうです。
そして、ヴァンサン役のマリナン・ルヴァン、実は本物の精肉店で3ヶ月間住み込み修行をして役作りをしたとのこと。驚くべきは彼が仕込んだハム、映画公開前に地元の品評会で「最も感情を揺さぶる味」として特別賞を受賞したというエピソードです。
さらに、店内に飾られているカレンダーの月日が微妙にずれているのは、「倫理観がずれている世界観を象徴する」ための演出という、細部へのこだわりっぷり。クロエが使っていたスマホのロック画面が“ベジタリアン彼氏との破局通知”だったことに気づいた人は、かなりの観察力の持ち主と言えるでしょう。裏話の中には、「人肉を使った」とされるハムのレシピが実際に存在し、小道具班の間で“あれは本物だ”と囁かれていたとか……? 真偽のほどは定かではありませんが、笑いと恐怖のスパイスをふんだんにかけたこの映画に相応しい都市伝説です。脚本家が撮影現場で「自分でも何を書いてるか分からなくなった」と漏らしたという話もあり、まさに混沌の旨味が詰まった一作。観た後には思わずスーパーのハム売り場を二度見してしまう、そんな小さな影響を、あなたの生活にもそっと忍ばせてくるかもしれません。
公式HP

更新日: 2025-04-19