デヴィッド・フィンチャー監督による映画「ゾディアック」は、単なるサスペンス映画の枠を超えた、観る者の心に深い爪痕を残す傑作です。実際にアメリカを震撼させた未解決連続殺人事件を基に、犯人が残した不可解な「暗号」と、その底なしの「謎」に取り憑かれた者たちの執念を描き切っています。
「上映時間が長くて観るのをためらっている」「結局、犯人は誰なの?」「地下室のシーンが怖いって本当?」
この記事では、そんな疑問に答えつつ、映画「ゾディアック」の核心に触れる部分を深く、多角的に解説します。なぜこの映画が今なお語り継がれるのか、その理由がわかるはずです。
ネタバレあり‼
あらすじ
事件の始まり
サンフランシスコを震撼させた殺人鬼
物語は1960年代後半、フラワー・ムーブメントの熱気が冷めやらぬサンフランシスコ・ベイエリアで幕を開けます。平和と愛の時代が終わりを告げようとする中、その闇から忍び寄るように、後の「ゾディアック事件」の最初の凶行が起こります。1968年12月、人気のない湖畔の道で若いカップルが射殺される事件が発生。当初はありふれた強盗殺人かと思われましたが、7ヶ月後、事態は誰も予測しなかった方向へと転がります。
大手新聞社サンフランシスコ・クロニクルに、犯人を名乗る者から一通の手紙が届いたのです。差出人は自らを「ゾディアック」と名乗り、警察しか知り得ない情報を含めて自らが犯した殺人を詳細に告白。さらに、手紙には不気味な記号で構成された不可解な「暗号」が記されており、「これを一面に掲載しなければ、週末までに12人を殺す」と新聞社を脅迫します。これは単なる犯行声明ではなく、メディアと警察、そして社会全体に向けられた前代未聞の挑戦状でした。
この挑戦状に、世間は騒然となります。サンフランシスコ市警の敏腕刑事デーブ・トースキー(マーク・ラファロ)は、これまでの犯罪者とは全く異なる知能犯の出現に直面し、執念の捜査を開始します。一方、クロニクル紙の編集局では、特ダネを嗅ぎつけたスター記者ポール・エイヴリー(ロバート・ダウニー・Jr)が事件に飛びつきます。そして、編集局の片隅で、同僚の風刺漫画家ロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)が、誰よりもその不気味な「暗号」に強く惹きつけられていくのでした。こうして、刑事、記者、漫画家という、交わるはずのなかった3人の男たちの運命が、一つの巨大な「謎」によって交錯し始めます。

ゾディアック最大の謎:犯人からの挑戦状「暗号」
この事件を最も象徴するのが、犯人から送りつけられた「暗号」です。これは単なる謎解きではなく、社会を恐怖に陥れ、警察やメディアを自分の意のままに操ろうとする、犯人の歪んだ自己顕示欲の表れでした。
実際に送られた暗号文とその衝撃
ゾディアックは、独自の暗号文を複数回にわたって新聞社に送りつけました。
- 408文字の暗号: 最初に送られたこの暗号は、驚くべきことに一般市民である高校教師夫妻によって解読されます。そこには「人を殺すのはとても楽しい」「死後の世界で自分に仕える奴隷を集めている」という、常軌を逸した動機が記されており、社会に大きな衝撃を与えました。
- 340文字の暗号: 最も有名なこの暗号は、長年「謎」のままでした。映画でも解読されないままですが、現実世界では映画公開後の2020年、民間の専門家チームによってついに解読されています。この事実は、事件の執念が現実世界でも続いていたことを示しています。
「謎」に取り憑かれた男、グレイスミス
ジェイク・ギレンホールが見事に演じるグレイスミスは、当初は事件から一歩引いた立場の、ごく普通の市民でした。しかし、彼は誰よりも「暗号」の論理的な構造に魅了され、その執念から人生そのものを事件調査に捧げるまでにエスカレートしていきます。彼の姿は、一つの「謎」が、いかに人の人生を根底から変えてしまうかという恐ろしさを見事に描き出しています。

迷宮入りの捜査:浮上する容疑者と「犯人2人説」
映画を観た多くの人が「結局、犯人は誰だったの?」という疑問を抱きます。映画は一人の最有力容疑者を強烈に示唆しますが、決して断定はしません。この曖昧さこそが、フィンチャー監督の狙いなのです。
最有力容疑者アーサー・リー・アレン
グレイスミスが長年の調査の末にたどり着くのが、アーサー・リー・アレンという男です。彼には、偶然とは思えないほどの数多くの状況証拠がありました。
- 犯人が言及した時計のブランド「ゾディアック」を身につけていた。
- 犯行があった日に、現場近くにいたことを示唆する証言。
- 被害者の証言と一致するブーツのサイズとブランド。
- 爆弾の製造方法に関する知識を持っていた。
しかし、筆跡や指紋、後年のDNA鑑定でも決定的な物証は得られませんでした。この「あと一歩で届かない」もどかしさが、未解決事件の持つ不条理さを突きつけます。
なぜ「犯人2人説」が囁かれるのか?
「犯人 2人」という説は、単なる憶測ではなく、実際の捜査段階から有力な仮説として存在しました。
- 目撃証言の矛盾: 生き残った被害者たちの証言では、犯人の声や体格、髪の色などが犯行ごとに異なっていました。
- 手口の違いと地理的範囲: 犯行は銃撃、刺殺と手口に一貫性がなく、また広範囲にわたって行われました。
これらの矛盾から、単独犯ではなく、模倣犯や複数の協力者がいたのではないかという「謎」が生まれ、捜査はさらに混乱を極めたのです。

フィンチャー監督の演出術
「ゾディアック」の評価を調べると、必ずと言っていいほど「長い」という感想を目にします。しかし、その長さには明確な意図があり、そして映画史に残る屈指の恐怖シーンも、その「長さ」の果てに用意されています。
「長い」上映時間
なぜこの映画は「長い」のか?その意味とは
本作の上映時間は157分。デヴィッド・フィンチャー監督は、この時間を使って、事件が風化し、人々の記憶から薄れていく中で、決して解決しないまま時間だけが過ぎていく現実の無情さと、事件に人生を狂わされた人々の、終わりのない調査による精神的な疲弊を、観客に追体験させるのです。派手なアクションを排し、膨大な資料の山と徒労に終わる捜査を丹念に描くために、この長さは必要不可欠でした。
恐怖の「地下室」
観る者のトラウマ「地下室」の恐怖
この映画で最も心拍数が上がるのが、グレイスミスがある人物の家に情報を求めて訪ねるシーンです。その家の主は、穏やかな口調とは裏腹に、不気味な雰囲気でグレイスミスを「地下室」へと誘います。
「地下室で何か音がするんだ。聞いてみてくれないか」
このシーンには、直接的な暴力も流血もありません。しかし、「もしこの男がゾディアックだったら?」という極限の疑念と、逃げ場のない空間での息詰まるような緊張感は、どんなホラー映画よりも強烈な心理的恐怖を観る者に与えます。これこそが「ゾディアック」が追求する、見えない恐怖を象徴する名シーンです。
まとめ
未解決事件の謎と「暗号」が私たちに問いかけるもの

映画「ゾディアック」は、単なる犯人探しのスリルを提供するエンターテイメントではありません。それは、一つの未解決事件が、社会や個人の人生にどれほど深く、そして長く影響を与え続けるかを描いた、重厚な人間ドラマであり、執念の記録です。
犯人から社会へ送りつけられた挑戦状である「暗号」は、単なるパズルではなく、人々の好奇心を刺激し、心をかき乱し、ついには人生そのものを狂わせてしまう悪意の象徴でした。そして、いくつかの「暗号」が解読された現代においても、事件の真相は依然として完全には明かされていません。
この映画が私たちに残すのは、すっきりとした答えではなく、「真実とは何か」という重い問いです。まだ観ていない方はもちろん、一度観た方も、本記事で深掘りした「暗号」や「謎」に注目して、もう一度この傑作に触れてみてはいかがでしょうか。
更新日: 2025-07-05