作品名
レオン

監督
脚本
主な声優
1分で分かるあらすじ
静かに生きる殺し屋レオンと、家族を惨殺された12歳の少女マチルダ。無口な大人と口達者な少女、決して交わるはずのなかった二人が、ひょんなきっかけで共同生活を始めます。
少女は復讐のために“殺し”を学びたいと願い、男は戸惑いながらもその思いを受け入れます。

ミルクと植木鉢を愛するレオンの心に、マチルダの無邪気さが少しずつ変化をもたらし、無機質な日々に人間らしさが芽生えていくのです。しかし、追い詰めてくるのは、狂気に満ちた麻薬捜査官スタンスフィールド。
静寂と暴力、孤独と愛情が交錯する中、ふたりの運命はやがて壮絶なクライマックスへと向かって走り出します。それは、ただの殺し屋と少女の物語ではなく、心に咲く“愛と命”のレクイエムなのです。
主要キャラ一覧
レオン
静寂の中に生きる殺しのプロフェッショナル。無口で几帳面、冷酷に見えて心はガラス細工のように繊細です。
銃の扱いは超一流、でも口下手で感情表現は超初心者。植木鉢を家族のように可愛がる姿は、まるで命を奪う天使。無骨で孤独で不器用な彼の優しさは、静かに心に刺さるのです。
マチルダ

12歳とは思えぬ鋭さと毒舌で、大人の懐にズバズバ切り込む小悪魔ガール。
家族を失い、復讐を胸に秘めた彼女は、時に少女、時に戦士、そして時にレオンの心を揺らす愛のメッセンジャー。
年齢不相応なセリフと行動に、観る者は笑って驚いて、そして泣かされます。
ノーマン・スタンスフィールド
悪徳麻薬捜査官にして、“狂気”という言葉の擬人化。
ベートーヴェンを聴きながら人を殺し、優雅に怒鳴り、優雅に破壊します。理不尽と暴力を美学のように振りかざす彼の存在は、全編において“恐怖”という名のアクセント。
その不気味な言動に、誰もが背筋を凍らせずにはいられません。
トニー
レオンの仕事を斡旋する中年男。表向きは優しいレストランのオーナーですが、その本性は都合の良い義父のような距離感。
面倒見は良いけど、金は預かるだけで返さない。レオンの「唯一の社会的接点」である彼の存在が、物語に皮肉と現実味を添えてきます。
「レオンは気持ち悪い」と言われる理由を考察
映画『レオン』は世界中で愛される名作ですが、一方で「気持ち悪い」「違和感がある」と感じる視聴者も一定数存在します。

ではなぜそう思われるのか?それは倫理観、描写のリアリズム、そして“禁忌の境界”に挑んだ大胆な演出に理由があるのです。本記事ではその「気持ち悪い」と言われる理由を、冷静かつ情熱的に深掘りしていきます。
少女と大人の関係性に感じる倫理的違和感
もっとも多く挙げられるのが、「12歳の少女とプロの殺し屋の関係性が危うい」という指摘です。特に、マチルダがレオンに「愛してる」と口にする場面や、キスを求める描写は、倫理的観点から“気持ち悪さ”を覚える人が少なくありません。
しかし、ここで重要なのは“マチルダ視点”で描かれていること。彼女は両親に愛されず、弟を奪われ、生きる意味を見失った少女。
そんな彼女にとってレオンは、初めて自分を守ってくれた存在であり、父であり兄であり、時に恋人のような感情を重ねてしまったのです。
彼女の愛は子ども特有の“混線した感情”であり、レオンはそれに戸惑いながらも一線を決して越えようとはしません。
つまり、レオンの視点で見ると、彼は常に“守る側”であり、倫理的なブレーキは常に踏まれています。違和感を与える構図は確かにありますが、それは“禁忌へのギリギリの接近”を描くための演出であり、決して肯定ではないのです。
マチルダの過激な言動と大人びた態度
マチルダが12歳であるにもかかわらず、タバコを吸い、殺しの訓練を志願し、挑発的な言動を繰り返す物語の演技について「不快さ」や「気持ち悪さ」を覚える人が多いようです。
少女にリアルな演技を求めた作品全般に対しての不快感や、女性を軽く扱っているという意見も。確かに、少女が放つにはあまりにも鋭利で挑発的なセリフや振る舞いは、視聴者の倫理感に小さな針を突き刺してくるかのようです。
しかし、それこそがこの作品のリアリズムであり、マチルダというキャラクターの“壊れかけた子ども像”の表現なのです。家庭内暴力、機能不全の家庭環境、誰にも頼れない現実。それが彼女の言動の背景であり、“本当の子どもらしさ”を奪われた末の結果なのです。
彼女のセリフの一つひとつは、心の奥に残る“叫び”の変形であり、その裏には幼さと傷つきやすさが張り付いています。つまり、気持ち悪さの正体は“彼女がそうならざるを得なかった現実”にあるのです。
アメリカ版とインターナショナル版の編集差異
『レオン』には、実は2つのバージョンが存在します。1つはアメリカ公開版(約110分)、もう1つがインターナショナル版(約133分)。後者には、より踏み込んだ“マチルダとレオンの関係性”の描写が含まれており、これが「気持ち悪い」と言われる大きな要因の一つとなっています。
たとえば、マチルダが「あなたの恋人になりたい」と言う場面や、ベッドでの無邪気なやりとりなど。これらはアメリカ版ではカットされており、倫理的な批判を回避した構成になっています。

一方、インターナショナル版ではそうしたカットをせず、より生々しい感情と葛藤を描いています。つまり、違和感の度合いは「どのバージョンを見たか」によっても大きく左右されるのです。
ベッソン監督の作家性と物議を醸した演出意図
リュック・ベッソン監督の作品は、往々にして「純粋と危うさの境界線」に立っています。特に本作では、“少女と大人の関係性”というセンシティブな題材に切り込み、あえて観客に不安や戸惑いを与える構図を取りました。
その背景には、ベッソン自身の「無垢なものが暴力と交差する瞬間を描きたい」という作家的欲望があったとされています。危険と愛情、孤独と希望、そして“生と死”。それらの要素が混然一体となる瞬間を描くことで、“観客の感情を揺さぶること”が狙いだったのです。
確かに挑戦的であり、一歩間違えば大炎上も免れない構図。しかし、それこそが芸術。万人に受け入れられるだけの作品ではないことを、ベッソン自身も理解した上での“表現の賭け”だったとも言えるでしょう。
“気持ち悪い”と感じること自体が、映画の狙いでもある
最後に重要な視点があります。それは、「気持ち悪い」と思わせることこそ、この映画の意図ではないかということ。レオンとマチルダの関係性、スタンスフィールドの狂気、殺しと愛の同居――それら全てが、私たちの“常識”を少しだけ揺さぶるための装置なのです。
「こんな関係、あっていいのか?」「これは愛か?依存か?」「守るとは何か?奪うとは何か?」観終わった後にふと考え込んでしまうような、そんな問いを観客の心に残すこと。それが、この映画の“副作用”であり魅力でもあります。
つまり、「気持ち悪い」は、この作品が人間の感情に真正面から向き合った証なのです。そしてその不快さは、私たち自身が持つ倫理観や感情の輪郭を確かめる鏡でもあるのです。
レオン見どころのシーン5選
マチルダの「ノック」から始まる出会い
扉の向こうから必死に叫ぶ少女、そして無言のまま葛藤するレオン。
このシーンは「冷徹な殺し屋の心が動いた一瞬」です。鍵を開けるか、心を開けるか・・・
その葛藤が見事に重なる演出は、静かな緊張感の中で私たちの胸を締めつけます。涙腺も扉も、この時ばかりは開かざるを得ません。
牛乳と銃の共同生活
ミルクを飲み、銃を構える。掃除を教え、復讐を学ぶ。まるで家庭教師と生徒のような、奇妙で愛しい共同生活のシーンです。
朝食にミルク、昼に射撃、夜に映画。ギャップの洪水の中で芽生える“情”が、何とも滑稽で、そして温かいのです。殺し屋の家が、こんなに笑えるとは誰が想像したでしょう?
スタンスフィールドの狂気
「ベートーヴェンはお好きですか?」と問うその目は、完全に理性の彼岸。
名演技のオンパレードで魅せるゲイリー・オールドマンの“鬼神の如き悪役ぶり”は、観客の記憶に永久保存されるレベル。
銃声とクラシックが混ざるこの場面は、“美しき破壊”の教科書とでも呼びたい名場面です。
最後の贈り物
レオンの決意が胸を打つ最終決戦。愛のために生き、そして命を懸ける彼の姿に、誰もが言葉を失います。
「殺し屋は孤独」という概念を打ち砕く“愛の形”がここにあります。この瞬間、観客全員が「レオン、カッコよすぎだろ……」と心で叫ぶのです。
マチルダが植える“命”
物語のラスト、マチルダはレオンの植木鉢を土に植えます。それは“命の継承”、そして孤独からの卒業。
静かで、でもこれ以上ないほど感動的なラストに、あなたも間違いなく「この映画、永遠に語り継がれるやつだ……」と確信します。
有名なセリフ
「人生で初めて愛を知った。それが君だった」
この言葉は、最期の瞬間にレオンがマチルダへ託した想いです。感情を押し殺して生きてきた男が、少女との日々の中で初めて“心”に触れ、初めて“愛”を知る。たったひとことに彼の人生すべてが詰め込まれており、観る者の魂を揺さぶります。
「愛はいつだって、予期せぬ時に咲く」
レオンとの別れ際に、マチルダが心から放った言葉です。愛とは何か、家族とは何かを問い続けた少女の、確かな答え。このセリフは、ラストの静かな土のシーンとリンクし、“見えない絆”の存在を我々に突きつけてきます。
「ベートーヴェンを聴け。そうすれば、君はすぐにわかる」
不気味さとカリスマが炸裂するセリフ。部下を睨みつけながら発するこの言葉は、彼の“芸術的狂気”を象徴しています。音楽と殺意が一体となる異常性に、観る者はゾッとしつつも、奇妙な魅力を感じてしまうのです。
「掃除ってのは、完璧でなければ意味がない」
彼の“プロフェッショナリズム”がにじむこの言葉。殺しを「掃除」と呼ぶ彼の価値観を体現しつつ、どこか職人気質で滑稽でもあります。無駄口は叩かず、無駄弾も撃たない。レオンの生き様を象徴する、静かなる哲学です。
「根を張って生きる。それが本当の強さだと思う」
植木鉢にまつわるマチルダの言葉。この一言は、彼女がレオンから受け取った“命”の哲学を象徴しています。傷だらけでも、孤独でも、根を張って生きることの大切さ。それは大人にも子どもにも、心に刺さるメッセージです。
作品功績
興行収入

興行収入:全世界興行収入 約4,560万ドル(約70億円)
受賞歴

受賞歴:
┗ César Awards(セザール賞)ノミネート
┗ Japan Academy Prize for Best Foreign Film 受賞(日本アカデミー賞最優秀外国作品賞)
┗ BMI Film Music Award(作曲賞)受賞
┗ 他、ヨーロッパ各国の映画祭で高評価を獲得
パルプフィクションまとめ
レオンは、ただの殺し屋ではありませんでした。口よりも銃が雄弁で、感情よりもルールが大事な、無音のプロフェッショナル。けれど、そんな彼の心に、不意打ちのように現れたのが、マチルダという名の嵐。少女は言いました、「私に殺しを教えて」と。いや、彼女が本当に求めていたのは、“生き方”だったのです。
そして、最後のシーン!レオンの植木鉢を大地に植えるマチルダの姿。それは、物語の終焉であり、始まりでもあります。殺し屋が遺した“命の哲学”を、少女が土に託すその瞬間に、観客は無言のまま、心の中でスタンディングオベーションを送るのです。
さあ、あなたももう一度、レオンの世界へ戻ってみませんか?
牛乳の味が少し優しく感じたら、あなたもきっと、レオンの魂に触れた証です。
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余談・小ネタ
さて、ここからは少し肩の力を抜いて、映画『レオン』の裏側を覗いてみましょう。あなたが知っているレオンは、本当にすべてを知り尽くしたレオンでしょうか?いや、答えはノン。さあ、秘密の扉をノックして開けてみましょう。
まず驚くべきは、マチルダ役のナタリー・ポートマン、当時わずか11歳!そう、あの大人びた毒舌と小悪魔的な色気を放っていた少女は、まだランドセルが似合う年頃だったのです。彼女はこの映画が映画デビュー。リュック・ベッソンは彼女を一目見て「マチルダはこの子しかいない」と即決したとか。女優の魂は、既に11歳で燃え上がっていたのです。
続いては、レオンのファッションに注目!
黒のニット帽、丸メガネ、そしてロングコート。この“無骨ファッション”、今では「レオンコーデ」として一部のファッション愛好者の中でひそかなブームに。なんとコスプレ界隈では、牛乳を小道具に持って歩く“レオン完コス”が存在するのです。
そして忘れてはならないのが、悪役スタンスフィールドを演じたゲイリー・オールドマンの即興演技!あの「ベートーヴェンはお好きですか?」の名台詞、なんと脚本には存在しなかったのです。ゲイリーのアドリブ演技があまりに強烈で、スタッフ全員が一瞬固まったとか。そしてその後、笑顔で「完璧だ」と拍手が起きたという逸話もあります。

更新日: 2025-06-10